こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
塩を巡る旅をしているといろんな疑問が湧いてきます。
その中の一つが「藻塩」という存在。
なぜこの様な形式になったのだろうか?
答えはわからないが、今話題になっている万葉集の時代は藻塩が調味料の中心だった為か歌に「藻塩」「藻」「藻塩焼く」などの表現が結構使われているようです。
当時の様子は呉や淡路島の資料館などでも万葉集に出てくるものが再現されてきています。下の写真は呉や淡路島のものを引用させて頂きました。
海藻のホンダワラを乾燥させ、焼いて灰にしたものを海水と混ぜて土器で煮詰めてミネラルたっぷりの藻塩が出来上がり。と言った感じです。
味は普通の塩よりマイルドで甘みが感じられるような優しい味と感じられると思います。
先日の新潟での藻を干しているところ
かまがり古代土器製塩体験施設より引用
淡路島の藻塩 -こだわりが生んだ、おいしい塩- 藻塩とは? 古来の製塩方法より引用
塩は、後に海水を浜に引き込み砂浜で濃縮する技術が出来るまで下の写真のように縄文時代からある土器で焼く方法が主流だったようですね。
日本の塩:採かんの発達/藻塩焼き(古代)|世界の塩・日本の塩|たばこと塩あれこれ|たばこと塩の博物館より引用
いつからどの様な理由で藻を使って作られてきたかはわかりませんが、かなり長い期間
飛鳥・平安時代までは藻塩が日本人の調味料だったんですね。
一番古いのが茨城の鹿島神宮近辺になりますので、塩釜神社との関連も強い場所ですのでこの辺が何らかの関係がある?なんて勝手なこじつけをしちゃいたくなりますが、時代が違い過ぎますね、、、
さて、万葉集が出来た頃の調味料は藻塩ともう一つあります。
醤(ひしお)です。
醤油と味噌の原型ですね。
写真は銚子でいつもお世話になっている「銚子山十」さをが復活させた醤です。
近年の発行ブームもあり醤を知っている方も今では多いのではないおでしょうか。
醤(ひしお)は醤油とほぼ同じ材料で作られますが、発酵した豆を食材と一緒に頂く事で塩味とうま味が食材に足されるというものです。
仏教の僧侶が中国から持ち帰ったものと言われてます。
当時は高価のものですので、主に貴族が食していたものと言われています。
なので、やはり当時の調味料は「藻塩」が全国的に主たる調味料だったと言えそうですね。
日本では1997年に専売が中止になり民間で自家製塩が作れるようになりました。
同時に反動なのか、その後二十年で古代の製塩を復活させた藻塩が多く作られる様になりました。
専売の時代の塩化ナトリウムより海外の岩塩が注目されていたのも背景にありそうですね。
ただ、エネルギー問題や環境問題や収益の問題などだんだん課題が増えてきていますので、ぬちまーすのように大きな発想の転換も時代と共に必要になってきそうですね。
では最後に
万葉集ではどの様に藻塩が登場するのでしょうか?
下に三つ上げてみました。
興味がある方は、現代語訳は調べてみて下さい。
当時の生活などが垣間見れるかもしれません。
「名寸隅の 船瀬よ見ゆる 淡路島 松帆の浦に 朝なぎに 玉穂刈りつつ 夕なぎに
藻塩焼きつつ 海人少女 ありとは聞けど 見にゆかむ よしのなければ 丈夫の
情はなしに 手弱女の 思ひたわみて 徘徊り われはそ恋ふる 船梶を無み」
「志賀の海女は 藻刈り塩焼き 暇なみ 櫛笥の小櫛 取りも見なくに」
「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ」
今度はこのような場所に旅するのも面白そうですね。
今回のテーマ「藻塩」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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