こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
今回は私の中のイメージの世界ですが今の時期の天体の動きと物語が重なっているので備忘録的に。
今日はクリスマス。
冬至から3.5日の死と再生の物語は世界共通概念ですね。
今回は古事記・日本書紀に登場する有名なシーンを思い出しました。
「天岩戸」の物語です。
アマテラス(太陽)が岩戸に閉じこもってしまい世界が暗くなってしまったところから、外に出てくるまでの物語ですね。
太陽が隠れて、また現れる様子は昼と夜とも例えられる事もありますが、冬至の状況とも非常に重なって見えます。
この物語を演出して色を出しているのが天鈿女(アメノウズメ)になりますね。
踊りで場を盛り上げたことから、現在では、芸能の神であったりオカメさんの原型とも言われています。
また役割としては巫女になりますね。
冬至だけでなく今年は、天皇の代替わりもあり、いろんな意味で天鈿女(アメノウズメ)の持っている役割を感じます。
通常であれば冬至が太陽の死と復活としての冬至と被らせるだけですが、
今年は大きく観た時に、時代の転換点で、潜在的に発生したことが、新たに現象的に私達の体感できる現象として浮き上がってくる感じが、天鈿女(アメノウズメ)が中間地点でもあり触媒でもある様に重要な役割を果たす様に見受けられます。
巫女は、古代から東西の世界関わらず、中間地点の情報の一次メモリーでもあり、岩(現象化)へ通ずる触媒でもあります。
メモリー(コード)は音の世界でもありますので、鈴の音は抽象的ではありますが非常に分かり易いですね。
ここでまた思い出したのが映画「君の名は」の巫女の役割ですね。
鈴を鳴らし、組み紐で編み込む姿は、
音と時空が折り重なり現象化する流れを感じます。
ちょうどこの時「瀬織津姫」が世間でも話題でしたね。
時空を織り込む織姫としてのアマテラスと瀬織津姫の表裏一体の関係を感じます。
私の探求してきたカラダの世界は、究極的には音の世界とも言えますので
鈴の音も、祇園精舎の鐘の音が諸行無常であるのと同様、止まる事もなく変化し続ける現実の様に、映画「マトリックス」のコードの様に水が流れ続けるかの様に、
生まれては消えて、消えては生まれる
科学ではこれを「代謝」と表現します。
人間の身体だけでなく、精神も代謝します。
社会も地球も宇宙も代謝を止める事は無いですね。
これを冬至は時間という概念から教えてくれるのではないでしょうか?
今は社会や宇宙の代謝を肌感覚でも感じられる特殊な時期です。
私みたいな妄想をする必要は全くありませんが、自分自身の中や社会を眺めていると各所にこのことがわかってくる感じがあるだろうと思われます。
などといつも歩いている時にフッと思い浮かんで妄想をしている今日この頃。
外に目を向けてもいいのですが、
先ずは内側の概念の中で、時空の重なりの違いが感じられると思いますので
反応するより、耳を澄まして音の変化を感じ取ってみたいものです。
ここで冬至を英語で見ると太陽が停止するということを昔から概念があった事がよくわかるかもしれません。
冬と夏の至点を表す英語“solstice”は、“太陽(sol)が静止している(sistere)”という意味のラテン語から来ている。夏至の後の数ヶ月の間、太陽が空に描く弧は少しずつ短く低くなる。そして冬至前後の数日間には、弧の変化がほとんど止まり、太陽が同じ場所から昇って同じ場所に沈んでいくように見える。もちろん冬至を過ぎれば、太陽が空に描く弧は少しずつ長く高くなり、夏至の日にそのピークを迎える。
太陽が至点に達する日は一年に2回ある(12月21日頃と6月21日頃)。これは、地球の地軸が太陽を回る軌道面に対して平均で23.5度傾いているためだ。季節の変化も、この地軸の傾きによって生じている。
せっかくなので、地球の傾きが冬至を作り出しているのが図を見ると感じられるのではないでしょうか。
冬至は死をも象徴しますが
陰から陽へ向かう切り替え視点です。
目には見えなくても現象には微かに陽の兆しは現れてきます。
正月の清々しさをこの陽の兆しと重ねて楽しむこのこれからの楽しみになりますね。
その前に掃除しなくては、、、
今回のテーマ「冬至と古典」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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筆者:丸山 泰弘
薬剤師、カラダ・キュレーター
健康・レストランのコンサルタント
CS60始めました(CS60目黒)
カラダ・キュレーション(CS60)
https://karadaq.hatenablog.com/
@taneyakumaru