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三浦梅園という巨人 没後230年 国東半島の日本を代表する哲学者 その二

こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです

今日も私見たっぷりのタネをお届けします。

 

 

三浦梅園の残したものから前回は

内側への否定力を持つ姿勢から変化を生み出すパワーのようなものを、岡本太郎氏や本庶教授と重ね合わせて見てみました。

 

今回は三浦梅園の自然観や宇宙観を中心に外側の現象との向き合い方を見て行きたいと思います。

 


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三浦梅園資料館より

内なる否定の姿勢と、天に順い学ぶ

 三浦梅園は学問する上で、対象を疑う姿勢を常に持っていました。

しかし、自然界、特に「天(宇宙)」と言う存在に対しては、疑わず順い、師とするという共生する姿勢を持っていました。

「学は天を師とし人を友とす。天を師とすれば能くこれに順い、人を友とすれば局促するところなし。これを大同に得て、これを各好尚に責めず。」

 天地を師とする態度は、対自然認識のみならず、社会や人間の認識に適用されてもよい態度という考えで、「天」の「大同(差別をつけず、全てを受け入れること)」のあり方まで到達することを「天人に通ずる」と梅園は表現しています。

 

上の引用の一文を見ていると、順天堂大学などの由来の「順天」と大同生命の名前の由来の「大同」の故事などが気になって来ます。

 

 順天は台湾などに行くと会社名や店舗名で使われてもいますね。

由来は「易経」2番《坤為地・こんいち》

坤は、元(おお)いに亨る。牝馬の貞に利(よ)ろし。君子往くところあるに、先んずれば迷い、後(おく)るれば主を得。西南には朋を得、東北には朋を喪(うしな)う。貞に安んずれば吉なり。
彖に曰く、至れるかな坤元、万物資りて生ず。すなわち順(したが)いて天を承(う)く。坤は厚くして物を載せ、徳は无疆(むきょう)に合す。含弘光大にして、品物咸(ことごと)く亨る。牝馬は地の類、地を行くこと疆(かぎ)りなし。柔順利貞は、君子行うところなり。先んずれば迷いて道を失い、後るれば順(したが)いて常を得。西南には朋を得とは、すなわち類と行えばなり。東北には朋を喪(うしな)うとは、すなわち終に慶びあるなり。貞に安んずれば吉とは、地の无疆(むきょう)に応ずるなり。
象に曰く、地勢は、坤なり。君子もって徳を厚くし物を載す。

 

因みに順天堂の由来の一文は「資生堂」の社名の由来でもあります。社名の由来 | ブランドについて | SHISEIDO | 資生堂

 

順天堂の由来
順天堂の「順天」は、中国の古典『易経』にある「順天応人」(天の意志に順い、人々の期待に応える)と、孟子の言葉の「順天者存 逆天者亡」(自然の摂理に順うものは存続して栄え、天の理法に逆らうものは亡びる)に由来します。

順天堂について|学校法人順天堂

 

大同生命の社名の由来は「小異を捨てて大同につく」という故事に由来するといわれています。

 

これらから見るとわかりやすいかもしれませんが、天を師とし、自然から学び共生する姿勢が人を知る方法であると梅園に限らず古くからあることはわかりやすいですね。

この姿勢が医療や健康へ寄与する「仁」という徳を得るとされていることは、古代から変わらないものということは、私も必要な姿勢だとつくづく感じます。

 

また、この姿勢が人を知ることに繋がるのは、梅園の「反観(反観合一)」という認識方法に由来します。

「天地の道は陰陽にして、陰陽の体は対して相反す。反するに因て一に合す。天地のなる処なり。反して一なるものあるによりて、我これを反して観、合せて観て、基本然を求むるにて候」という手紙を書いてます

 ここでも「易経」の繋辞上伝に「一陰一陽之謂道」という太極図にも通じる世界でもありますね。

反観は「」を例えられます。少し前に流行った鏡の法則とは若干違うニュアンスで引用されます。

 自分の顔で考えた時、鏡で見ている自分(自分の内側から見た顔)の姿と写真に映る自分(自分の外側から見た顔・人から見た自分)はそれぞれ反面で、自分で見るにも鏡を見る事で対象化しなければ見れません。

 

反観は、人間が天(自然)を認識する方法でもあるようです。

これは、自分が認識する自分だけが全てになってしまうと自己中心性に偏ってしまうのでそれを否定し謙虚に耳を傾ける姿勢が大事だというのです。

ここはカラダの声に耳を傾ける時にも非常に似た考え方かもしれません。

 

 

一方で、反観と対になる認識法に「推観」というものがあります。

ここは医師である事がそうさせたのではと感じますが、「思いやり」の認識法とも呼ばれる様です。

方法は、「我が身をつねって人の痛さを知る」という類推法です。

反観が天地自然を認識する方法に対して

推観は人間が人間を認識する方法だとされます。

「人を以って天を知る、反せざれば則ち得ず、人を以って人を知る、推さざれば則ち得ず、反比の分なり。」

 

 

梅園は幼少期から学問に打ち込むと聞くと、学問書を読みあさっているかと思うかもしれませんが、非常に「現場主義」であったようです。

 認識法として面白いことを言っています。

「魚を識らんと欲せば先ず魚史(魚の本)を読むよりは速やかに魚肆(魚屋)にゆけ。華を識らんと欲せば、先ず華譜(花の図鑑)を繙かんよりは急ぎ華圃(花畑)に走れ」

 本よりそのものに直接触れなさい!と、情報化社会の現在であってこそ大事なことかもしれませんね。

 

 

今回は三浦梅園が自身で確立させた認識法をもとにご紹介しました。

現在では、同様の認識方法は各種あると思いますが、江戸中期にあって自ら見出す人物がいたというのが非常に興味があります。

 

 

次回は三浦梅園が見出した天の究極の存在から私達のカラダにも関係する概念について考えてみたいと思います。

 

 


今回のテーマ「三浦梅園」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。


タネ屋のマル

 

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丸山  泰弘

薬剤師、健康・レストランのコンサルタント

 

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