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三浦梅園という巨人 没後230年 国東半島の日本を代表する哲学者

こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです

今日も私見たっぷりのタネをお届けします。

 

 

前回のカラダ予報の中で紹介した

今年のノーベル生理学賞に選ばれた本庶教授の「教科書を信じない」という言葉と同じ姿勢を持ち、

岡本太郎氏と同じように既成概念に囚われない生き方をした人物が、なんと200年程前の江戸時代中期の中津藩(現在の大分県)にいました。

 

それが、今日御紹介する「三浦梅園」です。 

 

f:id:maryuchian:20181010075327j:image大分県HPより

 

三浦梅園 - Wikipedia

 

 三浦梅園(1723〜1789)

江戸中期の哲学者。名は晋(すすむ)、字は安貞、梅園は号。

豊後国国東に生まれ。長崎に2度、伊勢に1度旅行した以外、ほとんど故郷を離れることがなく、祖父の代から医業を継ぐかたわら、研究と著作に精進した。根源的な思索ののち、気の哲学に到達し、儒教の自然哲学と洋学的な知識のもとづく体系的な自然哲学を提唱。彼によれば、天地万物は根元的な一気(元気)が現象したものであり、個々の存在は整然と秩序づけられる。それらの関係を条理とよび、条理を認識する方法が反観合一(はんかんごういつ)である。この独特の自然哲学は、主著の「玄語」をはじめ「贅語」などの著書にまとめられている。

(山川 日本史小辞典)

 

国東半島の巨人であり、日本の代表的な哲学者ともいえる人物でありながら、「忘れられた思想家」とも言われてしまう存在でもあります。

江戸末期に生まれた同藩の出身である「福沢諭吉」が有名だからなのでしょうか?

 

梅園が生涯暮らした場所は、現在開山1300年の祭が行われている六郷満山の地域です。現在もその生家は残されています。

大分 六郷満山1300年 - 薬剤師が語る 生活のタネ

この場所は以前御紹介したように、日本の神社と仏教の始まりに深く関わっていた場所で、江戸時代であっても信仰は強い地域だったと想像されます。

その中にあって、梅園は、仏教でも儒教でも全て真に受けずに疑う姿勢を持って、それが正しいか、自分で実証しようと幼少のころから学問をしてきた哲学者と言えます。

当時の社会において、対象を疑う姿勢は非常に危険な行為でもありましたが。医師の家系で本人も本業は医師として生涯暮らしたという背景がそれを可能にさせてけれていたかもしれませんね。

 

 

今回は、三浦梅園の哲学的側面から、岡本太郎氏や本庶教授のキーワードから繋がる部分を御紹介いたします。

 今回は下記の書籍から梅園の言葉や考え方を抜粋しながら考えてみます。

 

今回の流れの中で梅園の凄いと感じた所は、日本にいながら、西洋近代の洗礼を受ける前に、自力で哲学の精神を切り開いたことです。

 

友人への手紙の中で

「うたがひあらしむるべきは変にあらずして常の事也」

(疑問をさしはさむべきは変わったことではなく当たり前としてうけとめているものだ)(当たり前の事を疑え!)

と書いてあったくらい幼少のころから批判的に物事を見つめながら学問を身につけていったというのです。

梅園の弁証法的論理に「一即一一、反観合一」という有名な切り口があります。梅園の『玄語』という書物にこの考え方がのってます。

対立物の相互転化や対立物の統一という視点を見る事ができます。

この切り口は松岡正剛氏のコラムがあるのでご参考に993夜『玄語』三浦梅園|松岡正剛の千夜千冊

 

同時代に生きた哲学者ヘーゲル弁証法を確立させたのですが、梅園はそこに至るまで歴史がない社会で自力で同じような弁証法にたどり着いていたのです。驚きです。

弁証法 - Wikipedia

 

確かに、この考え方では宗教を無条件に受け入れる事はあり得ませんね。

  

宗教でなくとも書物信仰に対しても

 梅園は自分と一般の人の判断の仕方の違いを次の様に特徴づけているようです。

「自分の考えとは違う者は非とし、自分と行動を共にしない者は仲間とはみない。人はこの基準で明快に判断する。しかし自分にはとてもそれができない。人は昔の人がそれを言っていれば、また書物に書いてあれば、たちまち信用して口にする。しかし自分はすぐさまそれを信じることはできない。」

 

 これに対して書物による学問の弊害の恐ろしさを次の様に指摘しています。

「俗習の蔽は。学之が変鍼を為す。学習の蔽は。殆んど薬石を擲つ。」

(俗世間の中で染まった偏見は、学問によって正す事ができるが、学問によってできた偏見にはつける薬がない)

 ここにも物事をしっかり精査する姿勢が伺えます。

 

 そして、私達が学んでいく過程で、思い込みや思考のフレームがどんどん強化されていく事が多いと思います。そんな私達にも指導しただけます。

 「かく物に不審の念をさしはまば、月日のゆきかへり、造化の推遷るは更にして、己が有と占め置ける目のみえ耳の聞こゆるも、態をなす手足も、物をおもふ心もひとつとして合点ゆきたる事はあるまじく候。それを世の人いかがすますとなれば、筈というものをこしらえて、これにかけてしまふ也。其筈とは、目は見ゆる筈、耳は聞ゆる筈、重き物は沈む筈、かろき物は浮ぶ筈、是はしれたる事也とすますなり」

(筈というものをこしらえて、みなこれに掛けてますます思考する) 

 現在の私達もこの筈型思考にとらわれていると言ってもいいですね。

 

 梅園は経済学者や社会学者という顔もありました。

全てを金に換算して、商品化していく資本の中で、肥大化して多様化する欲望が暴走するのか、私達人間の力で欲望をコントロールしながら止揚して行けるのか?

と批判的視点を持ちながらも統合したり価値を転化していけるかを自分の思考と実践の中で模索していたと考えられますね。

 

 

このように三浦梅園は、既存の概念や定義を疑い検証しながら自分に取り込み、転化し統合させていったことが伺えますね。

岡本太郎や本庶教授の姿勢が200年前より実証され、人間には必要な行為であるかがわかりますね。

 

 

一方で三浦梅園は天地や自然を師とし、そこからは素直に全て受け入れるところから学問を深めていった側面もあります。

次回はそういう梅園の視点から私達の自然観や宇宙観を考えて見たいと思います。

 

 

三浦梅園の世界―空間論と自然哲学

三浦梅園の世界―空間論と自然哲学

 

 


今回のテーマ「三浦梅園」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。


タネ屋のマル

 

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丸山  泰弘

薬剤師、健康・レストランのコンサルタント

 

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