薬剤師が語る 生活のタネ

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時を記憶する旅人 令和が生まれた万葉集のふるさとへ

こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです

今日も私見たっぷりのタネをお届けします。

 

 

本日はタイムトラベラー気分で「令和」の歌が読まれた背景の時代を想像の世界ではありますが旅してみたいと思います。

 

因みに、私自身は、この頃の歴史にも万葉集にも詳しくありません。

だからこそ教科書に囚われずに想像を膨らませこの時代背景に思いを馳せてみたいと思います。

 

 

改めて、今回の「令和」の元になる歌は万葉集ですね。

歌は大伴旅人(おおとものたびと)とされています。

梅花の歌32首

“ ときに、初春にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。(書き下し文)

 

選定の意図は「日本の四季折々の文化と自然を、これからの世代に引き継いでいきたい」という私も共感するところではありますが、

一歩引いて歴史を眺めてみると

 和やかなおめでたい歌と言われる一方で、引用されていると言われる漢詩の意味と、

大伴旅人がその当時置かれた大宰府へ行くことになった境遇を重ねてみると、

この歌の想いは、震えるほどの想いを秘めながら歌に込めたのではないか?

などといろいろ想像されます。

(因みに、引用しているのでは?と話題になっている漢詩は「帰田賦」の一節「於是仲春令月、時和氣清」の部分とか)

 

 

そこで、令和への想いは別として、万葉集や梅花が読まれる時代背景を眺めてみると、

いつの時代も壮絶な物語がありこれが現在の私達日本人のアイデンティティにも非常に大きく影響してきている側面があり、改めて日本の歴史の面白さがこの歳になってやっとわかってくる感じがします。

現代の私たちにも大いに学びのある物語があり是非この機会の時代を遡ってタイムトラベラーになってみませんか?

 

 

万葉集山上憶良の編集と言われていますね。

時代は飛鳥時代藤原京から奈良時代平城京へ遷都したところからが舞台です。

古事記が完成し統治国家としてカタチになってきた頃のこと。

長屋王(最後は政治最高位の左大臣)の貴族という血筋と、実力をつけて右大臣まで上りつめた藤原不比等藤原鎌足の子)との関係性からドラマが始まります。

歌の作者である大伴旅人は、貴族の長屋王の良きな仲間(友人)と言える立場。

 

政変「長屋王の変」での攻防のなかで、理想と現実の狭間とも言う様な境遇から

大伴旅人は都であ平城京の出世コースにいながら大宰府に下向させられています。

先に下向させられていた山上憶良と出会い

二人はそこで親交を深め文人として社会文化の向上に全力を傾けたことから万葉集は発生しているといっても良いのではないでしょうか。

 

梅の花の歌は、そこに至るまでの大伴旅人の想いが込められている様で改めてこの歌の奥深さに感動しています。

 

この歌が生まれてくるまでの物語は

下の漫画が非常にわかりやすく描かれています。

もちろん歴史から消されている部分が多い史実が多いはずですので、時間があればそんなことも考えながらぜひ読んで見ていただきたいですね。

 私の様なあまり歴史が得意でない者には最高の作品でした。3巻ですがサッと読んでしまいました。おススメ!

 

長屋王残照記 1巻 あおによし

長屋王残照記 1巻 あおによし

 

 

参考に、今回話題の品田悦一氏のこの歌から大伴旅人の心情を下のように解説しています。

「あいつらは都をさんざん蹂躙したあげく、帰りたくもない場所に変えてしまった。

羲之にとって私が後世の人であるように、今の私にとっても後世の人に当たる人々があるだろう。その人々に訴えたい。どうか私の無念をこの歌群の行間から読み取って欲しい。長屋王を亡き者にした彼らの所業が私にはどうしても許せない。権力を笠に着た者どものあの横暴は、許せないどころか、片時も忘れることができない。だが、もはやどうしようもない。私は年を取り過ぎてしまった......。」

藤原氏への念が込められているようですね〜

 

 

因みに山上憶良の代表作は

“神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり・・・”

“春されば まづ咲くやどの 梅の花 独り見つつや はる日暮らさむ”(大宰府「梅花の宴」で詠んだもの)

 

 

 

ここで、大宰府への左遷と聞くとここからこの物語の奈良時代から進んで、

平安時代醍醐天皇後醍醐天皇時代の「菅原道真」を思い出されるのではないのでしょうか?

右大臣まで上りつめた道真と、藤原時平左大臣という似た構造の中、出世を阻まれ大宰府へ左遷。

 京を離れる道真が残した歌が

“東(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて な忘れそ”

 

菅原道真の死後、京都で異変が起こり、道真の祟りといわれ、

醍醐天皇天満宮を建て道真を神として祀ることで納めたといわれていますね。

これで太宰府天満宮が総本社として学問の神が生まれてます。

この太宰府天満宮の神門は「」です。

宰府から宰府へと漢字が変わっています。

太陽や太極など天を意味する様に変わったのでしょうか、、、

 

 

 

 現在「令和」のゆかりの地として太宰府天満宮の梅と坂本八幡宮の梅が観光スポットとなっている様ですね。

私も近くに行った時には訪れてみたいと思います。

 

 

いかがですか?

平成までは四書五経からの出典が中心だったところから、日本の歌集から選ばれ、それに伴い歴史ともリンクしてくるところは皆さんいろんな楽しみ方をされている事でしょう。

新たな時代を迎えるにあたって改めて日本を見直してみたいですね。

 


今回のテーマ「旅人」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。


タネ屋のマル

 

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丸山  泰弘

薬剤師、健康・レストランのコンサルタント

 

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