こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
私は20代の頃、睡眠時間を3時間か4時間半に体内時計を設定しながら勉強しなくては!とがむしゃらに頑張っていた時がありました。そんな時だから実力はつくものの自分自身の内面と周囲の環境がズレてバグが起きやすくなり、何も悪いことは起きていないのですが行き詰まりのように自分を捉えてしまい身動きが取りづらくなる時がありました。
詩を読む感覚で何冊か本を手にとっていたとおもいます。
コトバを浴びるかのように文字を追っていただけですので「老荘思想」を理解したわけでは無かったのですが、自然の中に身を置く事で自然や周囲の環境から聴こえてくる音を聴く事も大事だと思い出したのです。
今年一年を振り返ると、社会の緊張感からか、私もそうですが、皆さん(特に患者様としていらっしゃる方)やり場のない漠然とした「不安」や「怒り」を抱えていらしているのは、言葉を交わさなくても空気感のようなもので伝わってきます。
こんな時は、スピードを落として、可能なら一瞬立ち止まって耳をすますことが抱えているものを手放す事に繋がりそうですね。
この「耳をすます」行為に今回の「三籟」という言葉がヒントになるのかもしれません。
「三籟」は先に登場した荘子のコトバです。
写真はwikipediaより引用
三籟とは【天籟(てんらい)、地籟(ちらい)、人籟(じんらい)】の三つのコトバの総称です。
籟(らい)とは、風が物にあたって音を発する様をいう。天籟は、天地自然の音響。自然になる風の音など。地籟は、地上におこるいろいろな音。地上の音響。そして人籟は、天籟・地籟に対して、人の吹きならす鳴り物の音。笛の音や歌声など。人の世の物音や人のけはいを言う場合もある。
また、「地籟」は現象化や物質化したもの、「天籟」は潜象又は形而上のものといった捉え方もするようです。
特に天籟は以前カラダの声で書いた「観音」の世界観と重なるように感じます。
頑張って音を聞くのではなく、肉体も精神もリラックスして、「耳を傾けて聴く」感じだと私は思っています。
昨今の社会変動や自然界の脅威も解決策にはなりませんが、三籟の音に耳を傾ける姿勢は、リラックスし、尚且つ周辺の変動の兆しをキャッチ出来るようになるのではないでしょうか?
先を知りたい、という願望は「不安」を発生させますが、変化の兆しをキャッチする事は、自分自身がリラックスしている状況ですのでリアクションも柔軟に素早くとれるようになります。
自身のカラダの声(音)も含めて、忙しい師走だからこそ、リラックスできる瞬間をもうけたいですね。
今回のテーマ「三籟」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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