こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
歴史の中で大事にしてきた「カタ」
今、街を歩くと海外の方の数の何と多いのだろうか?私の住む場所も、江戸時代の面影がある地域ですので近くのホテルやゲストハウスには勿論外国人ばかり。
その方たちを見ていて海外の人は日本の何に反応しているのだろう?とよく思います。
最近、神社仏閣の話や昔の医学の話を書いているうちに、共通する単語が私の頭によく浮かんで来るようになりました。それは・・・
「カタ」です。
「型」と書く場合と「形」と書く場合があるようですが。
日本人は「カタ」をつくり「カタ」を守り「カタ」を離れ「カタ」を進化させてきたのではないでさしょうか?
「カタ」が生み出され、文化となり、継承されて今の私達の手元に届いているという側面はありそうですね。
無形文化遺産はこのような背景があるものが多いのではないでしょうか?
私ごとですが、子供の頃は空手をやっていたのですが、私が魅了されていたのが戦いではなく「形(カタ)」というジャンルです。この「形」も武道のもつ「カタ」ですね。仕事では職人という要素も半面持っていますので最初の数年は私は修行状態で「カタ」を染み込ませてきました。個人的にも無意識に大事にしていたようです。
こんな感じで皆さんも日々の中にモノマネから始まりオリジナリティを発揮していくまでのプロセスの中に「カタ」が存在してきたのでは無いでしょうか?
日常のマナーや作法も「カタ」になります。これは千利休の茶道や華道、歌舞伎や能などの伝統芸能や、神道や仏教などの宗教儀式の面影が「カタ」として残されてきたと思われます。
その中でも一番古く「カタ」を作り上げ、後世のために書物として残したのが世阿弥ですね。
猿楽を能という非常にシンプルながらも高度な芸能に昇華さて継承させました。
この書物が一般的に有名になったのは昭和に入ってからですので、昭和に入ってからの伝統芸能の世界はこの世阿弥の「カタ」の世界観が多大な影響を与えてきたのではないかと想像されます。
カタとは何か?
これは私が答えを出せるようなものではないのですが、私が感じるのは日本人の心の一つの表現方法ではないかと感じます。
「カタ」がある事で
神が細部に宿ったかのように、「美」が細部に宿る。
又は、見えない心を伝え、見るものは象(かたち)からその奥にある心を観たと感じる。
そこに感動が生まれる。
「カタ」自体は物質ではないのでモノマネ(物学)で伝承します。カタチが無いものをカタチにして残していくような作業とでもいうのでしょうか。
美しさであったり心を表現するものでもあり、宗教儀式でもあり、芸能の表現方法でもあることから、私達は「カタ」という手段で現実を作り出しているものを表現しようとしていると思います。それを「神」という人もいるでしょうし、「心」というひともいるでしょう。現実の「源」や力の「源泉」ともいえるかもしれません。
日本人は古くから八百万の神というように全ての物事には神が宿るというように、物事を在らしめている力に感謝してきました。
その力を何らかのカタチに表現するながに「美」を見出してきたのではないのだろうか?
もしかすると日本人は神を「美」のなかに感じてきたのかもしれないですね。
そ現代的に言えば
「カタ」は、日本人の心の表現のツールであり、
宇宙との繋がりを表現するツールでもあった
とでも言えそうですね。
この「カタ」は深いテーマですので、今後も度々考えてみたいと思います。
世界に伝わる「カタ」
日本ひ世界の雛型になる!
これは、私が社会に出てからずっと思い続けている事です。
大袈裟に書きましたが、これは世界の中心になるという意味ではなく、これから世界が変化していく中で、世界中が共有する「ライフスタイルの雛型」が日本から発生していくのではないか?という根拠のない私の直感です。少なくとも食文化は広く認識されてきている手ごたえはありますね。
そのため「食」と「カラダ」を柱にいろんな角度からこのブログを書いている部分があります。
「カタ」は言葉が通じなくても伝わるものです。
「カタ」を大事にしてきた日本だからこそ発信できるものなのかもしれません。
そして、伝われば「守破離」のように場所毎に適したスタイルに変化していくものでしょう。
まだまだ何が「カタ」となるか見当もつきませんが、このブログを書きながらアンテナを張っていきたいと思います。
今回のテーマ「カタ」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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@taneyakumaru