こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
少し前まで、のどかな所だから一回のんびり行ってみたいな〜などとしか思っていませんでしたが、
実際行ってみたら想像以上に楽しめることが分かりました。
ちょうど1週間前の週末にマイルが貯まっていたので、温泉で息抜きしに行こう!
と飛行機が空いているところを探したところ大分空港行きだったので、では別府温泉へ!
休むつもりだけだったのでほぼノープランで行ったのですが、せっかくだし、暑さで移動がキツイので二日目は地元を巡るツアーに参加してみよう!と宇佐神宮を始めとする神社仏閣を巡る定期ツアーに参加してみました。
これが、私達にとって最高の体験になりました。
チョット紹介がてらどんなところだったかか書いてみます。
宇佐神宮を根元と見ると東側に飛び出ている「国東(くにさき)半島」が、今年開山1300年目にあたるタイミングでした。(開山718年)
この半島を昔は六つの地域のまとまりとしていたので六郷満山というようです。
ここの地域には原始宗教や神社仏閣が日本に出来始めた頃の記憶がまだ色濃く残されています。
そして1番の特徴が「神仏習合」です。
日本の仏教の歴史を見ると、
比叡山、そして高野山がいろんな宗派が出ている源と考えても、開山から最近で1200年祭を終えたところです。
約100年早く日本の雛形が生まれた場所とも言えそうです。
そう考えると凄い場所です!
この六郷満山ですが、全て天台宗になります。
これには最澄が関係していることが起因のようです。
最澄が804年に唐に向かう際、安全を祈願していったのが宇佐神宮で無事に帰ってきた後にお礼参りにも来たそうです。
しかし、逆に考えると凄い事です。
最澄が唐に出るときには、宇佐神宮は莫大な富と中央への力を持っていたのです。
ピーク時は九州の1/3程にもなる土地を所有していたそうです。
奈良の大仏を建立する際は、宇佐神宮が莫大な資金を提供していたとの事。
更に面白く、今では考えられないのが、
宇佐神宮の当時のトップが個人でお寺を山に作っていたのです。
現在も残っていて国宝になっています。
しかし、武家の社会が出来た頃からなのでしょうか、中心から離れてしまい、
陸の孤島と言われるほどに。
結果的に現在まで古い文化が保存されることになり今年1300年として日本の神仏の起源や原始宗教の面影を伝えてくれています。
また、宇佐神宮は全国にある八幡神社の総本社としての役割もあります。
神仏習合の中で源氏が宇佐八幡は京都へ勧請された石清水八幡宮を鎌倉に勧請し鶴岡八幡宮を建立し源氏の氏神とし、幕府の守護としたことから、全国の武将の守護神となっていったようですね。
更に神仏習合の中から発展したことから、武士が「八幡大菩薩に誓って・・・・」というセリフが武士の命を掛けた決断や真意を語る時の決まり文句のように
仏教として八幡大菩薩という仏教の守り神としても存在し、武士からは絶対的な崇拝の対象になって来ました。
このことから、戦国の世では地域の守り神として、戦いの守護として絶対必要な存在になっていった可能性がありますね。
お近くに八幡神社があるところは、その昔、武将がそこを守る為に、武士が攻撃しない八幡神を置いた可能性がありますね。
この旅の中で宇佐神宮を始め六郷満山を見て、八幡神社と稲荷神社も面白い共通点や類似点など見えてきました(想像ですが)ので次回はその辺りを書いてみようと思います。
今回のテーマ「六郷満山1300年」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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