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『つつがなし』にみる生き方の変遷

こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
薬剤師と健康やレストランのコンサルタントしてます。


今日も私見たっぷりのタネをお届けします。


〜今回のテーマは「恙無し(つつがなし)」です〜

 

「恙無く」という言葉は最近使われる事は無い死語のような存在ですね。

これには、言葉の変遷の歴史から使い勝手の悪い言葉になってきたのでしょう。

 

今日はこの「恙無し(つつがなし)」の歴史的背景からみる人々の自然観や身体観をのぞいて見たいと思います。

 

古典で一番古く残されているものは、BC300年ごろのものだそうで、君主が客を見送る時にかけた挨拶の言葉のようです。

そこでは「恙は優という」とあり

憂い(うれい)がありませんか?と声をかけたのです。

現代では恙無しとは、無事である、病気がない、異常が無い事を意味しますが。

昔は、「心配事はありませんか?」「思いやんではいませんか?」「気分が落ち込んではいませんか?」というような感じで、心の状態を心配していたようですね。

 

昔の人は憂いが病を引き起こしやがては死を招くと考えていたのでしょう。

東洋医学に見たら、当時は外邪(自然現象)はどうにも出来ず、内邪(感情)を傷める事で外邪が侵入してカラダを壊してしまうというものですね。

つまり、心の健康がその人の健康、さらにその人が束ねる組織の状態にも影響するという感じですね。

これは現代でも当てはまる非常に参考になる考え方ですよね。

 

これが日本へ入って来るのは、遣唐使や留学生が、先週公開された映画「空海」のように総合的に学んだ僧侶が医学や食文化など様々なものを持ち帰ってきた事でしょう。

平安時代には針や灸などの医療も持ち込まれていましたが、全てに対応できるわけではなく、妖怪のせいと思われていて、安倍晴明陰陽師修験道 の人々が呪術(当時のサイエンス)などを使って妖怪や虫を退治したり、病を消していくなどの事をやっていたのだと思います。

東大寺建立が疫病や飢饉から国民を守るためであるのも、何か見えないものがそうさせているからだと、祈りなどで解決しようと考えたのでしょう。

こうみると、明治維新後に近代が始まるまでは、同じような世界観を持って人々は生活していたのだなと感じます。

 

妖怪などは実際いるのではなく、自然界の現象や気という概念とその当時まだ判明されていなかったミクロな物を何か表現するために妖怪や虫という概念を作り上げたのでしょう。恐れでもあり畏敬の念でもあったと思われます。

 

ここで私が以前大好きでよく見ていた「蟲師(むしし )」を思い出しました。

www.mushishi-anime.com

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http://dic.nicovideo.jp/t/a/蟲師

 

蟲師

」それは動物でも植物でもない、生命の原生体。
本来棲む世を隔てたヒトと蟲とが重なるとき、人智を超えた妖しき現象が生まれ、ヒトは初めてその存在を知る。全ての生命は、他を脅かすために在るのではない。ただ、それぞれが在るように在るだけ。
こうした「蟲」とヒトとをつなぐ「蟲師」であるギンコが、旅の途中で様々な人々とそれに関わる蟲達に出会ってゆく。
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「蟲の仕業」
  
蟲(むし):作者の創作であり、一般的な「昆虫」などの小動物の総称としての「虫」とは異なり、精霊や幽霊や妖怪などにあたる生物としている。様々な怪異を、普通の人には見えない生命の原生体である様々な「蟲」の生命の営みから起こる現象と捉えている。大部分には名前は無く、形態も生態も千差万別に多種多様で、自然現象に近いものもある。

劇中では「生と死の間、者と物の間にいるもの」、「陰より生まれ、陽と陰の境をたむろするモノ共」、「我々とは在り方の異なる命」などとも説明され、その姿が見える者と見えない者がいるが、稀に全ての人間に見える蟲も存在する。その生態は未だ謎が多く姿形も多種多様で、動植物型のものやどちらともつかないもの、虹や雨など自然現象に近いもの(劇中曰くナガレモノ)、姿形は違えど実際の生物と全く同じ性質を持ったものすらいる。生命の根源により近いものになると、透けているものや光を帯びているもの、物体をすり抜けるものもいる。また、死んでも骸は残さない。
それら「蟲」に対する知識を活かして生業としている者達が「蟲師」である。

 

ナガレモノ
蟲の中でも、自然現象そのものに近しいモノ。「命がある」こと以外は、雨や虹などの「現象」と同じ。発生する理由はあれど目的は無く、何からも干渉を受けず、ただ影響だけを及ぼして去ってゆく。ヒトがナガレモノに触れると「憑く」。

恙無くというイメージを非常によく現しているな〜と個人的に

 

ここで現代の虫の意味を辞書で調べてみると

「虫」

出典:デジタル大辞泉小学館

1 人類・獣類・鳥類・魚貝類以外の小動物の総称。特に、昆虫をいう。

2 美しい声で鳴く昆虫。スズムシ・マツムシなど。「虫の音 (ね) 」《季 秋》「鳴く―のただしく置ける間なりけり/万太郎」

3 衣類や紙などを食い荒らす害虫。「セーターを虫に食われる」「虫干し」

4 人間のからだに寄生する害虫。蠕形 (ぜんけい) 動物の回虫をいうことが多い。「虫くだし」

5 子供の体質が弱いために起こる種々の病気。「疳 (かん) の虫が起こる」「虫をわずらう

6 人間の体内にいて、意識や心理状態を左右すると考えられていたもの。潜在する意識や、感情の動きをいう。「浮気の虫が動き出す

7 一つの事に熱中する人。「本の虫」「勉強の虫

8 (3にたとえて)愛人。情夫。隠し男。

「小いやらしく―があるから」〈人・梅児誉美・三〉

9 他の語と複合して、そのようなことをする人や、そのような性質の人をあざけっていう語。「泣き虫」「弱虫

 

 

因みに現在の「恙虫(ツツガムシ)」とうい虫の名前は、昔から妖怪に刺されて発病すると思われていた感染症が後にダニに吸着され、ダニな中にいたリケッチア(菌)がカラダに入ることに起きるものだったとわかり、そのダニをツツガムシとと名ずけられたようです。現在のマダニのウィルス観戦に似たものが昔からあって悩まされていたんですね。

 

現在は化学物理学そして心理学脳科学などのサイエンスから歴史の中の奇病もある程度紐解けてきましたが、東洋医学の世界にある「気」や「プラーナ」などの科学ではまだ紐解けていない部分もありますし、自然環境から引き起こされる体調不良や未病などはまだまだ解明とは言えない状況です。

そんな中でも東洋医学でいう内因(感情)や現代の学問としての心の状態にカラダはコントロールされている事は今の今まで変わらないんですね。

自然界の法則が細部まで解明されてきても関係性は大きく変わらないように思えます。

しかし、科学で認識する事で現象を妖怪にせず、より自分ごととして受け取れて、誰かの呪術に頼らずに、ココロと神経を保ち、生活の術をみずからの手に入れたら、自分を信じて外とはよりよい関係性を築いていく事でいろんな解決策が生まれてくる生き方を私達は得る機会が多くなってきました。

 

 地球や宇宙は変わっていませんが、私達は歴史の中で多くの学びから進化し続けてきています。その中でも人の心のあり方の重要さは生活の中で占める割合は変わらず、それを大事にする事で恙無く暮らせるのですね。

 


今回のテーマ「恙無し(つつがなし)」はいかがでしたか?
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タネ屋のマル


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