こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
中国医学には『神』という概念があります。
しかし、読み方は「かみ」ではなく「しん」です。
この「神」を眺めてみると、中国の古くからの「体」と「心」と「自然観」や思想の背景が垣間見れる感じがしますので少し取り上げてみたいと思います。
またこの「神」が私達のよく使う単語の出所でもありますので私たちが何をもって「神」を感じてきたか?古くの中国の思想の仏教や儒教の要素とも関連して成長していますので私たちとの関連性や相違点なども考えるヒントになればと思います。
因みに最近とりあげているアーユルヴェーダは神話の様な体系になっているため、「神」という表現を使う範囲が非常に広範囲になっていますのでまた区別して考えたいと思います。
さて話を戻して、
中国医学には、多数の学説(モノサシ)があり、それらを組み合わせて考えてます。
主要なところは
①陰陽学説、②五行学説、③精気学説、④精気神学説、⑤運気学説、⑥経絡学説、⑦蔵象学説、⑧命門元気三焦系統理論、⑨気血津液学説
①〜⑤は総論で世界観や整体観、
⑥〜⑨が各論で技術に落とし込む為のシステム論といったところでしょうか。
「黄帝内径」は①②の陰陽五行学説で書かれてます。
因みに、日本の漢方はこれとは違う「傷寒論」という学説をベースに組み立てられていますので、例えば陰陽五行などは基本概念には入っていません。
中医学の『神』という概念ですが、④に出てきます。
③の精気学説と④の精気神学説は対になっていますのでそこから簡単に説明します。
③の精気学説は「全てのものは、気が集まって出来ている」といった説で、世界や自然界全体を見つめる モノサシになります。
一方で、④の精気神学説は「人間は、気が集まって出来ている」といった説で、人間を見るモノサシになります。
日本人の感覚からすると、『神』という言葉は自然や世界を眺める時に使うようなイメージがありますがちょっと違うんです。
ただ世界を眺めた時に、『気』で出来ているといった概念はアーユルヴェーダでは勿論ですし、日本でも江戸時代の大分の哲学者三浦梅園も悟りの境地で同じ言葉を残していると記憶しております。
③の世界での精気は「気」という概念のみですが、
④では『精』『気』『神』全てが違う要素として扱います。
陰陽五行とはまた違った人間の捉え方ですので大まかにみてみますね。
先ず『精』です。
<広義の精>
- 体の中にあるもの
- 人間にとって重要なもの
- 目に見えるもの(形のあるもの)
これら3つ合わせて「人間とは、まず目に見える物のかたまりだ」としてます
<狭義の精>
- 主に生殖活動、性機能と関係するもの
『気』
- 人間のエネルギーの総称
「精という目に見える物のかたまり」である人間を「気」というエネルギーが動かしているイメージ
『神』
<広義の神>
- 人間が生きている状態そのもの
(話す・食べる・見る・歩く・考える・眠る等々、人間が生きていることを表すすべての現象をいう)
<狭義の神>
- 人間の意識や精神の活動を指す。
(具体的には「精神・意識・感情・記憶・睡眠など」)
これらの『精』『気』『神』を合わせて
「人間三宝」「人身三宝」と言い、人間を作っている3つの大切なものという意味で使われるそうです。
この三つの要素が融合し調和する事で人間をつくっている言えます。
簡単にまとめると、人間とは
まず『精』という「目に見えるもの」があります。でも人間は、ただの物ではなく。温かく、動きます。それは『気』というエネルギーがあるからです。そしてさらに人間には意識があります。それが『神』です。
こう表現すると、人間そのものを神社やお寺の様に捉えてきたのでは?と想像される様な印象はありませんか?
更に、3つの要素を細かく見ていくと、
『精』は「精・血・津・液」が含まれ
『気』は「宗気・栄気・衛気」が含まれ
『神』は「神・魂・魄・意・志」が含まれる。
この各論の「神」は陰陽五行学説と組み合わせて上の⑦蔵象学説で取り上げられます。「五志」になります。
蔵象学説は、簡単に言うと、五臓六腑の働きのモノサシになります。
『神』は五臓六腑の「心」が受け持ちます。
「心」には
- 血や脈を受け持つ働き(気の力を受けて流れる)
- 神を受け持つ働き「君主の官」(精神・意識の働き)
現代的に言うと、「心臓」という臓器の機能と「心(こころ)」という精神の蔵としての二つの特徴がいます。
私達がココロほ表現する時に胸に手を当てるのはここからきているのかもしれませんね。
「心」は五行では『火』に属します。そこから自然界では「太陽」です。
全てを照らし、火としての光と熱を与えます。
これらから現代で言えば脳の精神活動を「神明」とも表現されます。ただ座す場所は心臓です。
また『神』の要素の「魂(こん)・魄(ぱく)」は魂(たましい)を表し、五行では「木」である「肝」の蔵にあるとします。
「魂は血に宿る」ことから血の蔵の「肝」が「魂」の座としています。
五行の相性関係から「肝」が「心」を助ける様に、「魂」が「神」を助ける関係性が見えてきます。
他にも「形神統一」という今で言えば「こころ」と「からだ」は分離することが出来ないという概念が古くからあった事もあり、カラダの中に分離できない世界や宇宙を見ていた様にも感じられます。
このように観察してみると、中国の思想の背景にかつては、体の中に宇宙を見出し、さらに「神」をも見出すようなものがあったのではのいのでしょうか?
まさしく、カラダそのものが神殿であるようにも感じ取れます。
そういう目線で自分のカラダも、人のカラダもいたわれたらなと感じます。
私達が日常使う言葉としての「神経」や「精神」またはそれを無くした「失神」もここが原典でもありますので私達の日常にこの概念はもともと浸透していたものなのかもしれません。
信仰とは違う愛する感覚をここに見出してみるのもまた一つのモノサシになるのかもしれませんね。
参考
今回のテーマ「神」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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