こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
アーユルヴェーダの旅は今回で2回目ですが、気づかされる事が非常に多く、ハッと我にかえるような瞬間が多いです。
それは、Drの教えというより、周囲の関係の中で気付かされます。
要は、自分の中の状態が変わって、一旦頭のフレームが解除される様な感じになるからかもしれません。
昨晩同じホテルに滞在している方の疑問から私自身が大きなヒントを頂けたので、滞在の備忘録として今回は書きます。
今回は、アーユルヴェーダや東洋医学が理解しずらくなっている思考や思考順序がある事を思い出しました。現在の自分が思うその特徴的なものを探って見ます。
ロジカルシンキングや分析脳の弱点
私も仕事柄常になっている考え方なのですが。
主に西洋医学では、
- 診察をして、検査をして、現状把握します。
- 現状を過去の理論と照らし合わせながら分析します。
- 分析結果から標準(目標・未来)に対して、ズレや欠けや異常などを抽出します。
- その抽出された課題を整理します。
- 整理された課題を標準(目標・未来)と照らしあわせて課題解決方法(プロセス)を打ち出す。
- 方法に沿って行動・変化を実行(今〜未来)する。
- 実行しながら状況確認(今)をしその都度軌道(未来ベクトル)修正する。
- 最終的に結果が出て標準に到達(目標達成・解決)。
こんな流れでしょうか。
このプロセス自体は結果的に踏んでいます。
ヒンズー教や仏教の背景がありますので、因果という関係性はしっかりあります。
違いは「時間」
アーユルヴェーダの世界では「今」という時間だけ見て行きます。
今起きている事、症状、感情、
今の診断としての体質
今、カラダで何が起きているのか?
今、何がバランスを乱しているのか?
今、対処出来る事は何か?
瞑想やヨガ同様、
「今」という時間に集中する事
から始まります。
トリートメントも寝ているのではなく、その部位と呼吸に集中した中で時間を過ごして下さいと表示されてます。
私達は、スケジュールや先の事が気になってしまいます。
しかし、滞在中は、「今」直面している体感・感情・思考・食事に集中する様にあまり早く情報はもらえません。
特にシロダーラをすると、蓄積された感情・記憶・情報などが様々なキッカケで浮き上がってきますので、それをキャッチする連続になります。
アーユルヴェーダの内容はまたレポートなどでご報告しますが、
最近の話題に当てはめて考えてみると、
〈例えば台風の発生があったとします〉
私達の通常の思考グセからみると、
私の「カラダ予報」などもそうですが、
今の勢力と気圧配置から進行方向を予測し、
そこから更に予測できる天候や被害や体調変化を課題として対応策や解決策を提案し備えてもらいますね。
アーユルヴェーダの世界観は、
今、台風が発生しているのであれば、
発生した原因が何か?何が発生させたのか?
発生させる原因と周囲とのバランスはどうなっている?
今の原因場所の状況は?
今、出来る対応や原因の処置は?
今海水温が高い、それはCO2が多いから(仮に)
では台風の対応はしながらも、
海水温やCO2の地球内のバランスについて今出来る事は何か考える。
チョット話が膨らみ過ぎたので、
〈例えば風邪をひいた時〉
現代医学(保険で対応可能なもの)であれば、
危険性の高い感染症かそうでないか判断し、
この先数時間〜3日の発生するであろう症状を予測して、対処法として、クスリを処方し、その症状を極力発生させない様にしておく。
クスリが効いて、問題なく仕事が出来ていれば一旦解決。
アーユルヴェーダなどでは、
先ず風邪を引いた場合、原因か何かは想定しながらも、
今、ウィルスを取り込み感染してしまったカラダ・精神・魂のバランスの偏りはあるのか?
今、体質がバランスを乱しているからか?
今、周囲とカラダのバランスが合ってないのか?
そして今、カラダのどこを対処する事でそれらのバランスをとるのか?
と考え処方や休暇やトリートメントなどを検討して実行します。
その今の連続のプロセスの結果、カラダが元に戻ろうと自律神経が調整されていきます。
結果的に症状は無くなっています。
この時アーユルヴェーダでカギになるのが「五感」です。
感覚をそのままキャッチする事です。
それは結果的に「今」に集中する事に繋がります。
これが時間軸から見たアーユルヴェーダの難しさです。
もう一つ、
思考の方向性が違う
最初の例からもわかるかもしれませんが、
私達の通常の思考は、分析して、方程式のように理論やパターンに当てはめて回答を出したくなります。
この時に常に分析・分解して最小単位に解いていくのが正解への道とグセがあると思います。
これはこれで非常に重要な事です。
一方で、
アーユルヴェーダを始め東洋の文化は全般的に、抽象度を一段階ずつ上昇させる事によって、全体を見渡す(総合的)思考の使い方をしていきます。
細かい症状があるにも関わらず、次元を上げてしまい、先ずは全体を眺める事でバランスを見ていきます。
その上でどの様にバランスを崩しているのか?何がそうさせているのか?見極めます。
そこから今度は具体的(部分的)な対処に入ります。
この流れでは、症状が出ている場所と対処すべき場所は全く違う事もあります。
これを目の当たりにすると「?」となってしまって受け入れられなくなるケースが多いのかもしれません。
最後に思考の違いが生み出す
ニュアンスの差
先程から「バランスをとる」という表現が出てきますが、このニュアンスが私達が考えがちなものと違うからかもしれません。
私達は通常、「バランスをとる」と言われると、全てを平均化して平らにする様なイメージをします。(私はそうなりがちです)
しかし、アーユルヴェーダでの「バランスをとる」はチョット違うきがします。(私の認識ですが)
アーユルヴェーダでは3つの体質を表す分類があります。通常、殆どの人は3つの比率が違い三段階に割合がズレています。(これも抽象的)
これがその人の個性とも言えますし、魂のブループリントの様なものともいえるのかもしれません。
実はこの状態がバランスが取れた状態です。
バランスが崩れてる時は、特に一番比率の高い体質が強かったり弱かったり歪んだりといった感じで他の二つの体質との比率のバランスや相互作用のパワーバランスが偏ります。
そうすると、その人の個性(体質)が一時的に変化します。
ここまでは皆さんがイメージしやすいですね。
ここからが問題で、
この「バランスをとる」対処において、足りないものを補うとか強いものを弱めるとか(補足や矯正)ではなく、
例えば、その性質を持った食べ物やクスリを取る事で、メインの体質を本来の位置(エネルギー)にナビゲートしていくような作業をしていきます。(これも抽象的な表現になっちゃいます)
主に外部から正常なものを取り込む事によって周波数を揃えていくような作業になります。
ここの感覚が言葉のアヤのように思考がズレ、認識もズレでいく可能性が高いですね。(私もズレてるかもしれませんが。笑)
取り込む物や正常な外部に周波数やエネルギーを調整してホームポジションをとることを「バランスをとる」と言ってもいいと思います。
脳と自律神経の働きそのものとも言えます。
その為にトリートメントやヨガや瞑想や食事をトータルで考えることでカラダ全体のバランスをとる必要があると考えてみるとどうでしょう?
カラダの場所全体でもあり、肉体・精神・魂の全体でもあります。
これが先程の「感覚」が繋ぎになる事で全てが連結し直されると私は感じています。
シンプルにまとめてしまえば、普段お伝えしている
「カラダの声を聴く」
という一言に尽きるのかもしれません。
もちろんアーユルヴェーダそのものはもっと奥が深いものですが、
今回は私達の思考グセとのギャップからアーユルヴェーダを捉えてみました。
もし、難しく考えてしまって遠のいてしまった方は、思考より「感覚的」に「今」を眺めてみてはいかがでしょう?
アーユルヴェーダが身近になるかもしれません。
この中に出てきたキーワードも帰国後、また改めて考えていきたいと思います。
スリランカの公園の樹
今回のテーマ「古典医学の難しさ」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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@taneyakumaru