こんにちは
生活のタネをお届けするタネ屋のマルです
今日も私見たっぷりのタネをお届けします。
京都では7月1日から1カ月祇園祭ですね。
私はそのタイミングでなかなか行けなくて、まだTVでしか見たことがないですね。
しかし、部分的には各地に同じ祭が残されておりますので、私のみならずみなさんも何らかのものには触れている可能性がありますね。
祇園祭は八坂神社が中心になるお祭りです。
始まりはいろんな要素が重なっているようですが、
平安時代の疫病に苦しむ中から厄を払う意味を込めて始まったともされてますね。
古事記でいえばスサノオですが牛頭天王の力により安泰を願っています。
薬師如来も仏教でいえば重なるようですので
現代で言えば、医療の神様とでも言えばいいのでしょうか。
この祭の中で、八坂神社ではちまき(蘇民将来)を配り、玄関に吊す習わしがあります。
蘇民将来は各地でいろんな形で残されてます。
私の生まれた所は、毎年1月8日の夜に貰いに行く風習がありました。
しかし、形は六角形のこけし状のものです。
この目印がある事が、他人を我が家に受け入れ、もてなしてくれた証との事で、今も祭があれば玄関に何らかの印を付ける風習は残っているのかもしれませんね。
この習わしの最初を眺めて、
現代の私達の中に改めてその役割を見出してみると、
そもそも、飾る事が目的だったのではなく
自分を開いて、他を受け入れる姿勢、
又は、変化の中に対抗するのではなく、変化を受け入れる姿勢こそが健康的な生活を送る事に繋がり、
そして元気に楽しく働ければ人生の後々、更には子孫までその姿勢が受け継がれるという解釈も出来るのではないでしょうか?
但し、最初の第一歩は非常に困難に思えるでしょう。
だからこそ互いに理解しあい助け合う事で成し遂げられるとすれば、
祭りは、過去そして現在から未来までの時空間を繋がき合わせること、間(マ)を吊(ツ)る、ことであるかもしれません。
そこに感謝や祈りということが必然的に発生するのではないでしょうか?
有名な平家物語の冒頭
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(コトワリ)をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
世の中のモノゴトで変わらぬものは無く・・・
守るべきもの、変えたくないものほど変化していく事で、結果的にその時見れば同じように見えるもの
これに抵抗する事が、カラダで言えば病になるようなものなのかもしれません。
この様な記憶として祭りは宗教ではなく私達の生活に刻まれてきたものと言えそうです。
これから祭のシーズンです。
自分の中に変化のタネと抵抗したい想いをしっかり見つめるチャンスに使ってみて下さい。
今回のテーマ「祇園祭」はいかがでしたか?
新しいタネの発見につながっていったらうれしいです。
タネ屋のマル
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丸山 泰弘
薬剤師、健康・レストランのコンサルタント
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